2008/1/4 金曜日

風水

Filed under: 日記 — samma @ 7:53:40

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台湾の店にはいると、よく水関係の置物が置いてある。金魚鉢とか水盆とか壺とか。日本語の達者な店主に聞いてみると、これらはみな風水に関したものであるらしい。水は特に客商売には必須なもので、商売繁盛の要になるもののようだ。台湾の人たちは結構な金額を払って金魚鉢の置き場所を風水師に決めてもらっているらしい。

風水には様々な流派があり、さらに風水師により解釈が異なる。金魚鉢には金魚を何匹入れろ、しかも赤は2匹で1匹は黒とか細かな指示が入る。金魚鉢の形も重要な要素になる。日本では有名な風水師が西の方に黄色のものを置くと金運が上がるとか言っている。財布も黄色が良いらしい。

玄関近くに金魚鉢などを置く場合と、奥の方に置く場合では意味合いが異なってくる。方角も重要だが、おおむね玄関先の金魚鉢は人の出入りを多くする。あまり近所づきあいを好まない人には用のないものだ。

方角も重要な要素だが、厳密に方角にこだわる原理主義者と、任意に方角の意味をつける構造主義的な人がいる。後者で有名なのは徳川幕府を江戸に築いた僧侶であるが、東京の風水構造は90度、実際の方角に対して傾いている。風水を考える場合、土地が本来持っている性格と、この人工的に作られた構造を同時に考慮しなければならない。

このような、人工的な風水を持ち込むためには都市計画に様々な仕掛けを組み込まないといけない。一度意味づけをされた風水構造はそれが運用された期間に比例してその要素を保ち続ける。すなわち300年続いた江戸の風水構造は300年は保ち続けると言うことである。

このことを知らずに、西に黄色とか東南のかどに金魚鉢とか言うのは、この大きな構造にとらえられて意味が変わってくる。もちろん本来の方角も影響はあるが、先に述べたとおり風水の目的が都市計画に関係するものであり、土地が本来持っている性格を人工的に変更するものであることを考えると、このあたりを考慮した解釈があまり見かけられないのがどうかなと思われる。

2007/10/31 水曜日

エレンディラ

Filed under: 日記 — samma @ 5:59:34

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カフカと言う作家がいる。チェコの作家だ。「変身」と言う作品で有名だが、世間で言われるほど不条理作家ではないと思う。最近、知ったのだがこの人は錬金術師小路と言うところで作家活動をしていたらしい。何となく、ぴったりだと思う。

不条理作家と言えば、なぜかガルシア・マルケスを思い出すが、代表作の「百年の孤独」も、酒の名前でしか知らない。この人の短編小説を映画化した「エレンディラ」を一度テレビで見たことがあるが、とても印象的ないい映画であった。

もう一度見てみたいのだが、DVDは出ていないようで、残念である。

2007/10/30 火曜日

英語で話そう

Filed under: 日記 — samma @ 19:15:08

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日本では、英語を話せると尊敬される。「すごいですね、英語、話せるんだ。」半分、お世辞でもよく耳にする言葉だ。確かに、確実な英語を話せる人の割合は少ない。TOEICで860以上のスコアを出せる日本人は、「すごい」と思う。

ワーキング・ホリデーでオーストラリアあたりに1年位行って、英語が多少話せるようになり(1年もいたら特別な事情がない限り、話せない方がおかしい)、得意がっている人を見てると、「自分は他人と違うんだ」と言う意識が強いように思う。

「外人」(*1)がよく来るバーに行ったりすると、そうした人たちが、親しげにそこにいる「外人」に対して「外人」のように振る舞っている様子が見られる。相手に合わせているのかもしれないが、違和感を感じる。

ビジネスで英語を使わなければならない人たちは、シビアだ。ひとつの単語、あるいは句読点の位置を間違えただけで、重大な損失につながるときがある。そうした人たちは英語疲れしていて、普段、あまり英語を口にしないようだ。

そういった人たちが、後ろにいるかもしれないのに、と思うと用もないのに英語を話すのはためらわれる。

楽しければいいという人から、英語を忘れないためにとか理由はあれど、「他人より違う」ためという動機は、「他人から見て」という意識のもとにある限り、ただの自己顕示欲に過ぎない。コミュニケーションではない。

ちなみに自分のTOEICのレベルはD。「ゆっくり話してもらうか、繰り返しや言い換えをしてもらえば、簡単な会話は理解できる。身近な話題であれば応答も可能である。語彙・文法・構文ともに不十分なところは多いが、相手がNon-Nativeに特別な配慮をしてくれる場合には、意思疎通をはかることができる。」だそうだ。

相手に特別な配慮を求めなければならないところが、心苦しいがコミュニケーションは持ちたいと思う。

*1:国内で通常「外人」というと欧米系(特に白人、黒人)の外国人を指すことが多い。(非欧米系のアジア人や中東人は「中国人」とか「トルコ人」とか個別に呼ばれる。)好きな言葉じゃない。

2007/10/13 土曜日

食えない老人

Filed under: 日記 — samma @ 6:39:39

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漫画「新・事件屋稼業」の話。主人公が老後のことをどうすると言って、悪友たちと病院で宴会をしている。酒に酔った主人公が言う。「カフウみてえに食えない老人として一人で生きて…一人で死んでやるぞ…」

食えない老人、「カフウ」。長年、これが誰だか分からなかった。カフカなら知ってるが、食えない老人ではないし、「カフウ」は何かの小説の主人公のような気がした。

沖縄語で幸せを意味する言葉も「カフウ」である。でも、老人ではない。老人が幸せではないという意味ではない

最近、検索していて「カフウ」に行き当たった。なんだ、そうかと納得がいった。

永井荷風だ。

たぶん、そうだろう。日本文学に詳しい人ならすぐ分かる答えだった。

2007/10/12 金曜日

やらなきゃいけない

Filed under: 日記 — samma @ 7:09:23

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 色々、やらなきゃいけないことがある。サーバーを入れ替えて、OSもCentOSにして、ルーターも替える。CMSのMODxのことも調べないといけないし、Dreamweaverも使ってみないと。

2007/10/5 金曜日

事件屋稼業

Filed under: 日記 — samma @ 10:58:43

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 「事件屋稼業」と言う漫画がある。原作・関川夏央、作画・谷口ジロー。主人公は私立探偵という漫画である。単行本では主人公の深町丈太郎は1947年生まれ、単行本の最終巻である5巻では1994年時点で、47歳になっている。

 2007年の現在、自分は47歳になった。深町丈太郎は60歳であろう。1994年時点では自分は34歳であった。そのころ47歳というのは、もうダメな年齢だと思っていた。今、その年齢になってみて、やはりダメな年齢だと思う。

 今、60歳の自分を思うと、ただの爺いのような気がする。たぶんそうなるだろう。

2007/9/29 土曜日

外出

Filed under: 日記 — samma @ 9:41:07

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思い出してみるとここのところほとんど働いてないな。旅行にはいっぱい行けたけど。旅行に行かないと完全にひきこもりっ子になってしまう。元々家にいるのが好きなんで普段はだらだら朝酒して朝寝している。こりゃ、心身ともに健康に悪い。

なんとかして自分を外に引っ張り出さないとカビが生えそうで怖いな。

2007/9/27 木曜日

般若心経

Filed under: 日記 — samma @ 22:59:32

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般若心経はよく知られたお経である。大乗仏教の心髄が説かれていると言うことで、口ずさむ人も多い。ある人に、「このお経は良いことが書いてある。」と勧められたこともある。

有名なのは、色即是空、空即是色と言うフレーズだが、全体が短いので諳んじている人も多い。写経にもよく用いられ、いろいろと実用や御利益にも預かれる便利なお経である。

ちなみに、最後の部分「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」を訳して得意がっている人を見かけるが、これは本来呪文なので訳することに意味はない。と、言うか訳するとその力が失せると思う。

般若心経マニアはなぜかちょっとした会社の経営者や飲食店の経営者に多いような気がする。それまでなおざりにしていた何かを埋め合わせるかのように理屈で固めていて、見ていて痛々しい。

2007/9/26 水曜日

信仰心

Filed under: 日記 — samma @ 22:55:45

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信仰のある人は堂々としている。以前、さる新興宗教団体の信者の人と話したことがある。当時週刊誌で、元この教団の信者だった人がその教団を批判していた。そのことをその人に尋ねてみたら、「あの人は、悪い人だからね。」と答えが返ってきた。

どう悪いんですか、と訪ねると、「借りたお金を返さない人だ。」とのこと。明快で単純で堂々としている。確かにお金を返さない人は「悪い人」だ。反論する気はない。この人はこのシンプルで確実な価値観によって自分の人生を後押ししている。

単純で明快なのは悪いことかと言えば、そうでもない。だが、正義は我にあり、善は我にあり、彼は悪なりと断ずることは、幼稚である。それを支えているのは、その教団への信仰だ。堂々としているのは、迷わないからだ。何も考えて無いとも言える。

2007/9/24 月曜日

台湾の占い

Filed under: 日記 — samma @ 22:51:06

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台湾の占い師にメールを送ろうとしたのは、占ってもらうときの術者の判断にちょっと疑問が生じたためである。自分の生まれた時間はちょうど星の変わる時間であったらしく、西洋占星術でも東洋占星術でも、よく聞かれるのが、「その時間の前かな、後かな」である。

それぞれの術師は自分の経験に基づき判断し、算命する。台湾で占ってもらった術師はやはり同じことを聞いて、「じゃあ旧暦で算命しましょう。」と言った。言いぶりが、まあどっちでも良いから旧暦にしようか、って感じであった。

算命は四柱推命で行われたが、四柱推命は確か原則的に太陽太陰暦である。旧暦と言うのが太陰暦か農歴かはわからないが、いずれにせよ、太陽太陰暦とでは結果は大きく異なってくる。

顕著な部分として、俗に天中殺と言われる空亡が異なってくる。しかもこの先生、天中殺だからこの年は宜しくないと、日本のいかさま占い師のようなことを言う。空亡の本来の意味を理解しているならばそのような言い方をしないだろうし、知っていてそういう言い方をするのなら日本の客に迎合しようとしているような気がする。

このあたりをメールで問い合わせようと思ったが、四柱推命の暦法に関する資料が曖昧だったので、取りあえず止めておいた。もとより「自分の経験では、こういう場合、旧暦を用いる。」と言われたら、資料も何も関係ない。

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